戦国の姫たちの
越前・若狭



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小谷寺と徳勝寺

小谷寺 (長浜市)
浅井氏の祈願寺

 小谷寺は、白山を開山した「越の大徳」泰澄大師ゆかりの寺である。泰澄は白山から伊吹山までの峰峰に修験道場を開いたとされ、小谷山に建てられた坊舎が小谷寺であり、当初は常勝寺と言われていた。

小谷寺山門浅井三代の祖である浅井亮政が、大永4年ごろ小谷山の上に城を築き、そのさい、小谷寺は寺領交換により小谷山の東山麓に移った。浅井亮政はここを祈願寺と定め、寄進して寺号を小谷寺と改めたとされる。
浅井三代によって保護された寺であったが、小谷落城の時、寺も本尊以外はことごとく焼かれた。

 現在の小谷寺は、文禄2年豊臣秀吉が現在地に再建・保護を与えたもので、その後後徳川家康も保護したとされる。
 しかし、明治維新の廃仏毀釈により、六坊は破却され、現在では本堂と堂を残すだけとなっている。
 本尊は丈22cmの金銅仏如意輪観音で、この他はいくつかの宝物も所蔵されている。



小谷寺観音堂

小谷寺鐘楼

徳勝寺 (長浜市平方町)
浅井氏の菩提寺、浅井三代の墓

 曹洞宗の寺院で小谷城主浅井氏の菩提寺である。応永年間に上山田村(湖北町)で建てられ医王寺と号したが、浅井亮政が小谷城を築城するさいに小谷山山麓(清水谷)に移し、浅井氏の菩提寺とした。

清水谷の徳勝寺跡 元亀4年(天正元年)、浅井氏は織田信長によって滅亡するが、その後この地の支配を委ねられた秀吉は、小谷城を廃城とし今浜(長浜)にあらたな城(長浜城)を築城した。徳勝寺もその後清水谷からを長浜城下に移り、浅井亮政の諡号徳勝寺殿にちなんで徳勝寺に改称した。その後も徳川氏、彦根藩井伊氏の保護を受け、浅井長政の百回忌を機に現在地に移っている。

 三代の墓、浅井氏一族の過去帳、位牌、浅井長政夫婦像などがあり、毎年9月1日には追悼法要が行われている。

徳勝寺

浅井氏三代の墓

【小谷寺】

【徳勝寺】