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越前・若狭



越前若狭歴史回廊・別館[観光のふくい

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織田氏発祥の地・劔神社(剣神社)

劔神社 丹生郡越前町織田1003-1)
yasito.jpg神社社殿
 劔神社は、福井県丹生郡越前町(旧織田町)にある神社である。別名織田明神(おたみょうじん)ともいわれる。気比神宮に次ぐ越前国二宮とされる。素盞嗚尊(すさのおのみこと)を主祭神としている。

 社記によれば「神功皇后摂政の頃、第十四代仲哀天皇第二皇子、忍熊王が賊徒討伐の際、素盞嗚大神の御神助を得て平定されたので、王がその神恩報謝のため織田の地に社を営み、それまで座ケ岳(当社、北に位置)の峰に祀られていた素盞嗚大神の御神霊を“劔大明神”と仰ぎ奉られたのがはじまり」とされている。第四十九代光仁天皇の奉納による梵鐘(国宝)を所蔵している。

 織田氏は、この剣神社の神官の出自であるとされている。守護斯波氏に見いだされ、斯波氏の分国の一つ尾張の守護代に抜擢された。織田氏嫡流の守護代家は、斯波氏重臣として当然京に居住したが、庶流など一族の一部が尾張に下り、又守護代として現地支配を担った。応仁の乱で織田氏の嫡流は西軍に、庶流は東軍に属して激しく争ったが、後に守護斯波義寛のもとで尾張の上四郡を岩倉織田氏(嫡流)、下四郡を清洲織田氏(庶流)の支配とすることで一応結着するも、その後も分裂抗争は続いた。

 信長の祖父信定と父信秀は清洲織田氏のもとで次第に主家を凌ぐ力をつけ、信長の代になって守護斯波氏を推戴して尾張統一に乗り出し、その後斯波氏を追放した。
 ただ、信長の弾正忠家の出自は庶流である清洲織田氏のさらに庶流の系統で、はっきりせず不明である。
 信長が越前に侵攻した織田家の氏神として保護したとされ、信長から越前支配を任された柴田勝家も「殿様、御氏神、粗相仕るべからず」と記している。

hassyou.jpg境内の「織田一族発祥の地」碑
keidai.jpg神社境内
zoou.jpg織田町内に建立されていりる信長像
jinjya.jpg戦前の劔神社絵はがき
kane.jpg戦前の絵葉書「梵鐘(国宝)」

【劔神社】