勝家・お市墓(西光寺)、自性院
西光寺
(福井市左内町8-21)
勝家とお市の墓
西光寺は、朝倉氏の時代に、吉田郡岡保次郎丸に建立された真盛派の中心寺院で、大いに栄えたとされるが、朝倉氏滅亡後の天正3年、柴田勝家の北ノ庄(福井)築城に際し、北ノ庄に移転させられ、現在も福井市の左内町に在る。
天正11(1583)年4月、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に破れた柴田勝家は越前に敗走し、北ノ庄城に篭城する。しかい23日、足羽山(天魔ヶ池)に着陣した秀吉軍の攻撃が開始されると、その日のうちに本丸を残すのみとなり、翌24日夕刻、勝家は妻の信長妹お市を刺した後、自刃した。
勝家の辞世は
「夏の夜の 夢路はかなき跡の名を 雲居にあげよ山郭公」
お市は
「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 別れを誘ふ ほととぎすかな」
と詠んでいる。
境内には勝家、お市の墓があり、柴田勝家の菩提所として著名である。
真盛上人や朝倉氏関係では、上人の供養塔や朝倉貞景寄進と伝わる梵鐘なども残されている。
自性院
(福井市西木田2-10-21)
自性院
お市の方の菩提所であるこの寺は、奈良朝時代には紫雲山仏光寺と称して、越前東郷赤坂岡山に開創された。
その後慶長10年、清池院日乗上人が現在の地(福井市西木田二丁目)に移った。
寺伝によると、お市の方23回忌相当年に、お市の方の院号(自性院)を賜り、如意輪山願應寺自性院と改称したと伝えられている。
以後お市の方の菩提所となっている。
西光寺からは南へ4,5分のところにある。
【西光寺】
【自性院】